蔵から出して2 [歴史 文化]
晩秋は、とにかく忙しかった。
幸せな事に、元気で丈夫な体で良かったわ~~~
載せる時間が無くて、これも蔵から引っ張り出しました。
9月の末なぁ~~10月の初旬かなぁ~~~もう忘れちゃた。
10キロ買ってき。
鬼皮を剥きます、傷をつけたのは渋皮も剥いて栗ご飯用に。
綺麗に剥いたのだけ渋皮煮です。
10キロの栗、あまり失敗しないので大鍋2つに作ります。
何度も何度も渋抜きして、少しでも壊れたり割れたりしたものは外します。
それから、何度も何度も味付けをして、最後にブランディーを1ビン入れで出来上がり♬
それをビン詰めにしますが、取れる渋は取りながら・・・!
ビンに入れるシロップは漉してから使います。
ビン詰めが終わったら、熱処理をします。
熱処理の終わったビン詰めは2年くらいは常温でOKです。
この栗を待っている人が居るので作りますが、販売はしません。
その他、来る人に茶菓子に出したり、欲しい人に上げてます。
毎年、恒例の我が家の行事です、無事渋皮煮は終わりました。
****************
前回の鳥居三十郎の続きです。
講演が終わって外へ出たときは真っ暗でした。
この日は、城下町は竹灯籠祭り
譜代大名だったので歴史があり、年中行事がたくさんあります。
このようなお地蔵様祭りや、七夕祭りや、夏越様など色々。
講演が終わって安泰寺から出たら、お寺の中には鳥居三十郎の家紋の鳥居の竹灯籠が明るく照らされていた。
数えきれない竹灯籠の蝋燭が街中灯りをともして。
町内の人たちが全部作ったのです。
歩く道に沿って温かい灯りが灯されてます。
簡単に見て歩いてますが、携わった人たちは大変な作業だったと思います。
夜のカメラはピントが外れて難しいです。
消えた蝋燭も無く全部灯りが灯っていた。
この灯りは、江戸中期の側用人 間部詮房(まなべあきふさ)の菩提寺まで続いていた。
竹灯籠の灯りで幻想的な夜を観ながら帰った。
ご訪問いただきありがとうございました。
またお越しください。
幸せな事に、元気で丈夫な体で良かったわ~~~
載せる時間が無くて、これも蔵から引っ張り出しました。
9月の末なぁ~~10月の初旬かなぁ~~~もう忘れちゃた。
10キロ買ってき。
鬼皮を剥きます、傷をつけたのは渋皮も剥いて栗ご飯用に。
綺麗に剥いたのだけ渋皮煮です。
10キロの栗、あまり失敗しないので大鍋2つに作ります。
何度も何度も渋抜きして、少しでも壊れたり割れたりしたものは外します。
それから、何度も何度も味付けをして、最後にブランディーを1ビン入れで出来上がり♬
それをビン詰めにしますが、取れる渋は取りながら・・・!
ビンに入れるシロップは漉してから使います。
ビン詰めが終わったら、熱処理をします。
熱処理の終わったビン詰めは2年くらいは常温でOKです。
この栗を待っている人が居るので作りますが、販売はしません。
その他、来る人に茶菓子に出したり、欲しい人に上げてます。
毎年、恒例の我が家の行事です、無事渋皮煮は終わりました。
****************
前回の鳥居三十郎の続きです。
講演が終わって外へ出たときは真っ暗でした。
この日は、城下町は竹灯籠祭り
譜代大名だったので歴史があり、年中行事がたくさんあります。
このようなお地蔵様祭りや、七夕祭りや、夏越様など色々。
講演が終わって安泰寺から出たら、お寺の中には鳥居三十郎の家紋の鳥居の竹灯籠が明るく照らされていた。
数えきれない竹灯籠の蝋燭が街中灯りをともして。
町内の人たちが全部作ったのです。
歩く道に沿って温かい灯りが灯されてます。
簡単に見て歩いてますが、携わった人たちは大変な作業だったと思います。
夜のカメラはピントが外れて難しいです。
消えた蝋燭も無く全部灯りが灯っていた。
この灯りは、江戸中期の側用人 間部詮房(まなべあきふさ)の菩提寺まで続いていた。
竹灯籠の灯りで幻想的な夜を観ながら帰った。
ご訪問いただきありがとうございました。
またお越しください。
蔵から出して1 [歴史 文化]
病気をしていたわけでもなく、サボっていたわけでもなく、いたって元気、
PCの時間が無くて、ただ忙しかった。
葉の落ちた晩秋に石灰を撒いて有機肥料も撒いて、春に剪定をしてまた有機肥料を撒いて、初夏に実の8割を摘果して秋に収穫!
数日間その育ててきた柿の収穫に追われた、脚立に上がったり下りたり、柿の実を傷が付かないように1つ1つ収穫。
3000個以上を収穫し全部、欲しい人に配達したり送ったり・・・。
甘くて美味しいので人気があり、口コミで仲間に広がり「我も我も」、と声をかけられスポーツ施設の仲間に30キロの米袋に入れて配達して廻った。
30キロの米袋には100個位入る。
それを10数袋配った、それを各家庭で「渋抜きかけて親戚へ送った」、と聞いてます。
昨年1袋だった家が 「今年は2袋欲しい」、と言われて上げた家も2軒、200個づつ上げた。
その他に 「干し柿が欲しい」 と言われて吊るしやすく仕立てて1000個以上作った。
600個位は自分で皮を剥き作る人に上げて、500個位は我が家で作って出来上がった干し柿を先日150個は2軒に上げた。
柿は渋抜きかけて「あの人の分、この人の分」 と送った。
戦争のような忙しさで働き、気前よく上げて気が付いたら、自分の分が無い。
気の遠くなるような数の柿を処理して、全部バラ撒いて気が付いたら自分の分が無かったの・・・!
知り合いからハネた柿を分けてもらい、今渋抜きをかけている。
なんてこっちゃ・・・アホな:::県民性(><)
こんな日々だったので更新できませんでした。
****************
過ぎちゃったけど蔵から出して更新します。
ここは鮭の街 村上の鮭公園です。
この街のお寺の安泰寺で小説家 河合敦さんの講演があるのでそれまで散策。
お天気が良かったので家族連れなども楽しんでました。
問い合わせたとき
「会場は狭く100人位しか入れませんから、早めに来て座ってください」と言われて早めに会場へ行った。
講演時間まで地元の三味線演奏者が津軽三味線演奏をしてくれた。
この女性は和楽器 笛の演奏者です、この人は笛で海外も行かれます。
この人が小説家 河合敦さんです。
TVでおなじみ「世界一受けたい授業」 こんな番組に出て
こんなコスプレの格好で歴史を説明したり、本人になりきったり(^-^)
河合敦さん、あまり知られてない村上藩の家老、29歳で切腹させられた鳥居三十郎の小説を書いた人なんです。
先行発行でサイン入りの本を買うために参加。
村上藩は幕末、幕府側に付いた人、新政府軍に付いた人、に分かれて藩士同士が二分しお互いが敵になり悲惨な藩でした。
藩の中で二分し 藩士同士が戦うことは、あまり聞いたことがありません。
「村上城下町を戦場にしてはいけない」
と考えた鳥居三十郎は、鼠ヶ関まで北上し庄内藩と組んで、そこで新政府と戦うことに決めた。
鼠ヶ関で陣を取り戦場を鼠ヶ関に移し、村上城下町を救ったのです。
新政府は長岡藩を落とし、新発田藩を落とし、城に残っていた村上藩士も降参した。
村上城下町を戦場から守っていながら、その後 責任を取らされて鳥居三十郎は29歳の若さで切腹。
同じ家老でも、長岡藩の河合継之助はガトリング砲で有名ですが、村上藩の家老 鳥居三十郎は村上城下町を救ったのに、可哀想な最期を遂げたのです。
そんな事の書かれた本です、みなさん読んでみてください。
当日市の関係者が、鼠ヶ関から鳥居三十郎の陣羽織を借りてきてくれた。
布地は山辺里=(さべり)織です。
陣羽織の背に鳥居の家紋がかすかに見えます。
村上市長に河合敦さんから市の図書館へ本の寄贈です。
蔵出し更新の題は10月8日のものです。
留守中たくさんのご訪問ありがとうございました。
またお越しください。
PCの時間が無くて、ただ忙しかった。
葉の落ちた晩秋に石灰を撒いて有機肥料も撒いて、春に剪定をしてまた有機肥料を撒いて、初夏に実の8割を摘果して秋に収穫!
数日間その育ててきた柿の収穫に追われた、脚立に上がったり下りたり、柿の実を傷が付かないように1つ1つ収穫。
3000個以上を収穫し全部、欲しい人に配達したり送ったり・・・。
甘くて美味しいので人気があり、口コミで仲間に広がり「我も我も」、と声をかけられスポーツ施設の仲間に30キロの米袋に入れて配達して廻った。
30キロの米袋には100個位入る。
それを10数袋配った、それを各家庭で「渋抜きかけて親戚へ送った」、と聞いてます。
昨年1袋だった家が 「今年は2袋欲しい」、と言われて上げた家も2軒、200個づつ上げた。
その他に 「干し柿が欲しい」 と言われて吊るしやすく仕立てて1000個以上作った。
600個位は自分で皮を剥き作る人に上げて、500個位は我が家で作って出来上がった干し柿を先日150個は2軒に上げた。
柿は渋抜きかけて「あの人の分、この人の分」 と送った。
戦争のような忙しさで働き、気前よく上げて気が付いたら、自分の分が無い。
気の遠くなるような数の柿を処理して、全部バラ撒いて気が付いたら自分の分が無かったの・・・!
知り合いからハネた柿を分けてもらい、今渋抜きをかけている。
なんてこっちゃ・・・アホな:::県民性(><)
こんな日々だったので更新できませんでした。
****************
過ぎちゃったけど蔵から出して更新します。
ここは鮭の街 村上の鮭公園です。
この街のお寺の安泰寺で小説家 河合敦さんの講演があるのでそれまで散策。
お天気が良かったので家族連れなども楽しんでました。
問い合わせたとき
「会場は狭く100人位しか入れませんから、早めに来て座ってください」と言われて早めに会場へ行った。
講演時間まで地元の三味線演奏者が津軽三味線演奏をしてくれた。
この女性は和楽器 笛の演奏者です、この人は笛で海外も行かれます。
この人が小説家 河合敦さんです。
TVでおなじみ「世界一受けたい授業」 こんな番組に出て
こんなコスプレの格好で歴史を説明したり、本人になりきったり(^-^)
河合敦さん、あまり知られてない村上藩の家老、29歳で切腹させられた鳥居三十郎の小説を書いた人なんです。
先行発行でサイン入りの本を買うために参加。
村上藩は幕末、幕府側に付いた人、新政府軍に付いた人、に分かれて藩士同士が二分しお互いが敵になり悲惨な藩でした。
藩の中で二分し 藩士同士が戦うことは、あまり聞いたことがありません。
「村上城下町を戦場にしてはいけない」
と考えた鳥居三十郎は、鼠ヶ関まで北上し庄内藩と組んで、そこで新政府と戦うことに決めた。
鼠ヶ関で陣を取り戦場を鼠ヶ関に移し、村上城下町を救ったのです。
新政府は長岡藩を落とし、新発田藩を落とし、城に残っていた村上藩士も降参した。
村上城下町を戦場から守っていながら、その後 責任を取らされて鳥居三十郎は29歳の若さで切腹。
同じ家老でも、長岡藩の河合継之助はガトリング砲で有名ですが、村上藩の家老 鳥居三十郎は村上城下町を救ったのに、可哀想な最期を遂げたのです。
そんな事の書かれた本です、みなさん読んでみてください。
当日市の関係者が、鼠ヶ関から鳥居三十郎の陣羽織を借りてきてくれた。
布地は山辺里=(さべり)織です。
陣羽織の背に鳥居の家紋がかすかに見えます。
村上市長に河合敦さんから市の図書館へ本の寄贈です。
蔵出し更新の題は10月8日のものです。
留守中たくさんのご訪問ありがとうございました。
またお越しください。
私たちの誇りです [歴史 文化]
2年前になりますがクラスメートが勲章を頂いたんです。
本人を祝う盛大な祝賀会は終わってますが、同じ教室で机を並べて勉強したり、喧嘩をしたクラスメートともう一度・・・と、以前から計画してました。
しかし田舎のあととり息子、なかなか立ち上がらず延び延び(><)
雪が降るから雪下ろしがある・・・冬は車が危ない・・・農繁期は田植えが忙しい・・・稲刈りが始まった・・・!
と、年がら年中理由がある。
地元の長男君もガンなどでずいぶん亡くなっている。
3分の1に近いクラスメートがこの世から去っていった。
また欠席者は、脳梗塞で出席できない、心臓の手術をして出席できない、リュウマチで1人で参加できない。
と言う理由。
子供の頃、元気よく騒ぎまくって遊んだ仲間が、元気で今だに現役で働いている人、人の手を借りなければ生活できない人と差がでいる。
参加できるメンバーで良いから招集をかけることにした。
9月5日、場所は瀬波温泉、参加者は少ないけど、みんなで祝ってあげた。
これが勲章
瑞宝単光章です
皇居へご夫婦で出席し、天皇陛下からお言葉を頂いた、と聞きました。
写真の撮り方が悪いので分かりにくいけど、銀が光って紋が入っていてとても立派なものを拝見させていただきました。
集まると当時の時代に戻ってペチャクチャ
知名度があろうと、なかろうと、関係なし。
始めたばかりの席なので写真は、あまり飲み物は出てませんが生ビールバンバン、日本酒の燗バンバン♪
飲んで食べて2時間半、楽しい席でした。
飲み会は、ここでは終わらず販売機で買い直し、今度は部屋で宴会をした。
夜の11時までワイワイガヤガヤペチャペチャ!
一番端の部屋で良かったわ♬ 苦情が無かったの(^^♪
今度は東京メンバーも入れて3年後東京に集まる約束をして、みなさん喜んで散っていった。
本人を祝う盛大な祝賀会は終わってますが、同じ教室で机を並べて勉強したり、喧嘩をしたクラスメートともう一度・・・と、以前から計画してました。
しかし田舎のあととり息子、なかなか立ち上がらず延び延び(><)
雪が降るから雪下ろしがある・・・冬は車が危ない・・・農繁期は田植えが忙しい・・・稲刈りが始まった・・・!
と、年がら年中理由がある。
地元の長男君もガンなどでずいぶん亡くなっている。
3分の1に近いクラスメートがこの世から去っていった。
また欠席者は、脳梗塞で出席できない、心臓の手術をして出席できない、リュウマチで1人で参加できない。
と言う理由。
子供の頃、元気よく騒ぎまくって遊んだ仲間が、元気で今だに現役で働いている人、人の手を借りなければ生活できない人と差がでいる。
参加できるメンバーで良いから招集をかけることにした。
9月5日、場所は瀬波温泉、参加者は少ないけど、みんなで祝ってあげた。
これが勲章
瑞宝単光章です
皇居へご夫婦で出席し、天皇陛下からお言葉を頂いた、と聞きました。
写真の撮り方が悪いので分かりにくいけど、銀が光って紋が入っていてとても立派なものを拝見させていただきました。
集まると当時の時代に戻ってペチャクチャ
知名度があろうと、なかろうと、関係なし。
始めたばかりの席なので写真は、あまり飲み物は出てませんが生ビールバンバン、日本酒の燗バンバン♪
飲んで食べて2時間半、楽しい席でした。
飲み会は、ここでは終わらず販売機で買い直し、今度は部屋で宴会をした。
夜の11時までワイワイガヤガヤペチャペチャ!
一番端の部屋で良かったわ♬ 苦情が無かったの(^^♪
今度は東京メンバーも入れて3年後東京に集まる約束をして、みなさん喜んで散っていった。
酉が来た2 [歴史 文化]
初詣に行って家族と、みなさんの無病息災を願ってきた。
干支の酉年、部屋も酉を迎えた。
一番鶏です。
香炉も鳥
日本海の冬は、お天気が悪く初日の出は無理。
初日の出は二見ヶ浦の絵皿で(^-^)。
こちらも鶏の急須
家から出なくても日本一の富士の山も見られます。
縁起の良い松と鳥の鶴も一緒です。
こちらの部屋も鳥の鶴♪
一番鶏は、こちらにも・・・蓋の持ち手は雌鶏、後ろ手持ち手は雄鶏。
一輪挿しも鶏、生けてあるのは藪柑子
どの部屋も酉年の、鳥の絵皿と置物で飾ってます。
こんな形で新年を迎えました。
色々な酉尽くしで楽しんでます。
「人生まだ進める」と新たな気持ちで前向きに生きていこうと思ってます。
またお付き合いください。
干支の酉年、部屋も酉を迎えた。
一番鶏です。
香炉も鳥
日本海の冬は、お天気が悪く初日の出は無理。
初日の出は二見ヶ浦の絵皿で(^-^)。
こちらも鶏の急須
家から出なくても日本一の富士の山も見られます。
縁起の良い松と鳥の鶴も一緒です。
こちらの部屋も鳥の鶴♪
一番鶏は、こちらにも・・・蓋の持ち手は雌鶏、後ろ手持ち手は雄鶏。
一輪挿しも鶏、生けてあるのは藪柑子
どの部屋も酉年の、鳥の絵皿と置物で飾ってます。
こんな形で新年を迎えました。
色々な酉尽くしで楽しんでます。
「人生まだ進める」と新たな気持ちで前向きに生きていこうと思ってます。
またお付き合いください。
新しい朝 [歴史 文化]
あらためて
今年はサル年 嫌なことはみんなサルです。
************************:::
三が日のガラポンへ行ってきました。
粗品ばかりでした。
⑴カップラーメン
⑵作業用帽子
⑶桐のまな板
*************************
新年の手抜き正月です。
3~4年のサイクルで載せるから見たこともあると思います。
これは新年に相応しい軸
床飾りは「砂漠のバラ」
バラは「貴賓の高い客を迎える」と言う意味を持ってます。
脇は扇子とおかめ
おかめは能面を作る人が作ってくれました。
居間の正月飾りでした。
こちらは茶室です。
脇にはミニ扇も飾りました。
簡単な準備で正月を迎えました。
***************************:
気温も下がり始めたので昨日、白菜の漬物を作りました。
人参、柚子、昆布、も入れて@@
この桶に10キロの重みをのせた。
3日もすれば食べられるでしょう(^0^)
こんな暮らしで日々暮らしてます。
大勢のご訪問いただきありがとうございました。
さぼりましたが、また1年お付き合いください。
お付き合い3 [歴史 文化]
急に寒くなって上から白いものがちらほらと!
タイヤ交換をしなければなりません。
昨日は大きい鮭を1匹頂き「塩引き」を作った。
他にたくさん縫い物を頼まれ時間を見つけてやってます。
縫い物は商売じゃないから無料奉仕でやってます。
残す日も少なくなり、なんとな~~く慌ただしい季節です。
***************************::::::
そんなわけでPCの時間も無く遅くなりましたが、前回の続きです。
総会の場所へ移動は「高瀬温泉 高橋屋観山荘」
高瀬温泉も賑わっていた時も有りましたが、温泉街も不況が長引き今は廃業旅館が目についた。
高橋屋観山荘へ到着して、玄関へ入るとまず目に留まる凄い皿。
有田焼の東海道53次の特注絵皿です。
ライトの反射で見えにくいですが、宿場宿場の絵皿が@@ずらりと♪
宿場の絵と宿場の番号
こんな風に…38、39の宿場です。
江戸からの出発絵皿と宿場53次と京都着までの55枚の皿が飾られていた。
これは京都に到着の絵皿。
フロアーには百人一首の絵皿(^^)
カルタに合わせてずらずらと♪
全部清水焼で100枚…凄い。
階段を上がると目の前にこの皿♬
日本昔話の観山荘オリジナル皿。
子供の頃聞いた懐かしいお話あるわ、あるわ。
カメラに納まらないの。
他にも七福神の皿などあったけど、設置が高いところだったので止めました。
こちらの方は関郷の詩に合わせた風景などの額、この写真の倍の数の額も壁に設置してあった。
二階の廊下。
宴会のご膳、季節の郷土料理
お風呂へ入ったり、食事をしたり、くじを引いたり(^0^)
当たったくじの景品。。。大吟醸やワインの人も居たけど当たったのは粗品だった。
帰りのもらった手土産。
家に帰ってから開けた、中にはこんな菓子が入っていた。
ゼロ金利なのになにもサービスの無い銀行が多い。
ATMを使っていると窓口の接触さえない。
お客様の顔も見たことのない銀行窓口。
自分の金でもないのに口座を管理して勝手に引き落とし、入金も払い込みも全部ATM。
小さい銀行は親切です、仕事は部下に任せ支店長がわざわざ誕生日プレゼントを届けに来てくれました。
「お客様の触れ合いは大切」、との考えで日の長いときは日帰り旅行、日の短いときは温泉へ入って食事やゲームで楽しむ。
と、この銀行は年に2回ですが恒例の行事をやってます。
この日は人との触れ合いがうまれカラオケを楽しんだり、気持よく過ごして帰ってきました。
ご訪問いただきありがとうございました。
またお越しください。
タイヤ交換をしなければなりません。
昨日は大きい鮭を1匹頂き「塩引き」を作った。
他にたくさん縫い物を頼まれ時間を見つけてやってます。
縫い物は商売じゃないから無料奉仕でやってます。
残す日も少なくなり、なんとな~~く慌ただしい季節です。
***************************::::::
そんなわけでPCの時間も無く遅くなりましたが、前回の続きです。
総会の場所へ移動は「高瀬温泉 高橋屋観山荘」
高瀬温泉も賑わっていた時も有りましたが、温泉街も不況が長引き今は廃業旅館が目についた。
高橋屋観山荘へ到着して、玄関へ入るとまず目に留まる凄い皿。
有田焼の東海道53次の特注絵皿です。
ライトの反射で見えにくいですが、宿場宿場の絵皿が@@ずらりと♪
宿場の絵と宿場の番号
こんな風に…38、39の宿場です。
江戸からの出発絵皿と宿場53次と京都着までの55枚の皿が飾られていた。
これは京都に到着の絵皿。
フロアーには百人一首の絵皿(^^)
カルタに合わせてずらずらと♪
全部清水焼で100枚…凄い。
階段を上がると目の前にこの皿♬
日本昔話の観山荘オリジナル皿。
子供の頃聞いた懐かしいお話あるわ、あるわ。
カメラに納まらないの。
他にも七福神の皿などあったけど、設置が高いところだったので止めました。
こちらの方は関郷の詩に合わせた風景などの額、この写真の倍の数の額も壁に設置してあった。
二階の廊下。
宴会のご膳、季節の郷土料理
お風呂へ入ったり、食事をしたり、くじを引いたり(^0^)
当たったくじの景品。。。大吟醸やワインの人も居たけど当たったのは粗品だった。
帰りのもらった手土産。
家に帰ってから開けた、中にはこんな菓子が入っていた。
ゼロ金利なのになにもサービスの無い銀行が多い。
ATMを使っていると窓口の接触さえない。
お客様の顔も見たことのない銀行窓口。
自分の金でもないのに口座を管理して勝手に引き落とし、入金も払い込みも全部ATM。
小さい銀行は親切です、仕事は部下に任せ支店長がわざわざ誕生日プレゼントを届けに来てくれました。
「お客様の触れ合いは大切」、との考えで日の長いときは日帰り旅行、日の短いときは温泉へ入って食事やゲームで楽しむ。
と、この銀行は年に2回ですが恒例の行事をやってます。
この日は人との触れ合いがうまれカラオケを楽しんだり、気持よく過ごして帰ってきました。
ご訪問いただきありがとうございました。
またお越しください。
お付き合い2 [歴史 文化]
毎日のように人が来たり、落ち葉掃除をしたり、漬物を漬けたり…!
1週間の経つのは速い。
昨日はお天気も良かったので、ちょっと新津の美術館まで遠出して唐三彩展を見に行ってきた。
美術館の近くには八幡山古墳があるので運動の為に歩いて登ってきた。
カメラを持って行かなかったので写真は有りませんが、弥生時代の集落と古墳のあったところで、発掘していた写真や説明などが書き添えてあった。
下山してから次は「フラワーセンター」を覗いて花を観賞(@@)
ミカンの木と真珠の木の鉢を買った。
帰ってきてから温海カブを漬けこんだ。
日も短く1日はあっという間に終わってしまう。
********************************
前回の続きです。
渡辺邸の金蔵と宝蔵は土蔵の壁を破っても持ち出せないような構造になっていて、壁の中には鉄の板が編まれて張りめぐらされていた、と案内人の説明でした。
昭和42年に羽越水害があって大石川の堤防が決壊、関川村全土に大洪水が襲った。
多数の死者も出た。
この渡辺邸も大洪水が襲って庭も家も被害に遭った。
その時の水位の印の看板が立てられていた。
渡辺邸の初代は村上藩の郡奉行だった。
流れを書くと長くなるので省略です。
渡辺邸は財政難に苦しんでいた米沢藩にも多額の融資、総額10万両以上用立て、同藩勘定奉行格の待遇を受けていた。
通路には槍掛け、なぎなた掛けが残っている。
こちらは風呂場
廊下のところどころにこんな気配り
3000坪の宅地、500坪の母屋
見るものを圧倒する。
庭は到底カメラには納まらない。
全盛期には75人の使用人がいた。
1000町歩の山林、700町歩の水田から10000万俵の小作米を収納した、と伝えられている地主です。
当時、どなたが使用していた部屋かは分かりませんが、この部屋で石臼で引いた豆のコーヒーを頂いてきました。
2階からの眺めも良かったようですが、お茶を頂いていたら時間がなく見ませんでした。
次の目的地へバスで移動です。
ご訪問いただきありがとうございました。
またお越しください。
1週間の経つのは速い。
昨日はお天気も良かったので、ちょっと新津の美術館まで遠出して唐三彩展を見に行ってきた。
美術館の近くには八幡山古墳があるので運動の為に歩いて登ってきた。
カメラを持って行かなかったので写真は有りませんが、弥生時代の集落と古墳のあったところで、発掘していた写真や説明などが書き添えてあった。
下山してから次は「フラワーセンター」を覗いて花を観賞(@@)
ミカンの木と真珠の木の鉢を買った。
帰ってきてから温海カブを漬けこんだ。
日も短く1日はあっという間に終わってしまう。
********************************
前回の続きです。
渡辺邸の金蔵と宝蔵は土蔵の壁を破っても持ち出せないような構造になっていて、壁の中には鉄の板が編まれて張りめぐらされていた、と案内人の説明でした。
昭和42年に羽越水害があって大石川の堤防が決壊、関川村全土に大洪水が襲った。
多数の死者も出た。
この渡辺邸も大洪水が襲って庭も家も被害に遭った。
その時の水位の印の看板が立てられていた。
渡辺邸の初代は村上藩の郡奉行だった。
流れを書くと長くなるので省略です。
渡辺邸は財政難に苦しんでいた米沢藩にも多額の融資、総額10万両以上用立て、同藩勘定奉行格の待遇を受けていた。
通路には槍掛け、なぎなた掛けが残っている。
こちらは風呂場
廊下のところどころにこんな気配り
3000坪の宅地、500坪の母屋
見るものを圧倒する。
庭は到底カメラには納まらない。
全盛期には75人の使用人がいた。
1000町歩の山林、700町歩の水田から10000万俵の小作米を収納した、と伝えられている地主です。
当時、どなたが使用していた部屋かは分かりませんが、この部屋で石臼で引いた豆のコーヒーを頂いてきました。
2階からの眺めも良かったようですが、お茶を頂いていたら時間がなく見ませんでした。
次の目的地へバスで移動です。
ご訪問いただきありがとうございました。
またお越しください。
お付き合い1 [歴史 文化]
たくさん預けているわけではないけど、地方銀行の友の会の総会に行ってきた。
総会は毎年、近くの温泉街でしますが総会は形ばかりで、温泉へ入ったり食事を楽しんだり、カラオケやったり、くじを引いて商品をもらったり、帰りには大したものではありませんがお土産をもらったり…!
この銀行、年金日には来る人に窓口で粗品ですが、色々な品物をプレゼントしてくれます。
その月によって違います、卵1パックだったり小皿だったり、花の鉢植えだったり色々です。
ゼロ金利の時代お客様に、おもてなしやサービスをしなければ地方銀行は大手銀行に呑み込まれます。
会費は5500円で、招待ではありませんが、楽しく遊んできました。
バスに乗って行く途中に「重要文化財の渡辺邸」へよって観光もした。
渡辺邸は米沢街道の宿場における豪商農大庄屋。
中に入ると凄い梁(はり)、どんな大雪にも耐えられます。
柱には漆が塗られてます。
囲炉裏には火が焚かれて、火棚には収穫した吊るし柿が下がっていた。
大門から土間になっていて、主の入り口、使用人の入り口、身分によって段差があり分かれていた。
屋根は今は見られなくなった木羽(こば)ぶきです。
その見本が展示されていた。
その木羽ぶきの屋根です。
土蔵も幾つもあります。
庭師さんが雪囲いをしてますね。
この土蔵は「味噌蔵」です
「金蔵」
「宝蔵」
「米蔵」
「新土蔵」
「新土蔵」は11代当主のお嫁さんの衣装のための蔵です。
この他に裏土蔵があり現在六棟残ってますが、屋敷地図を見ると十二の蔵があった、と記されてます。
次回も「渡辺邸」です。
ご訪問いただきありがとうございました。
またお越しください。
総会は毎年、近くの温泉街でしますが総会は形ばかりで、温泉へ入ったり食事を楽しんだり、カラオケやったり、くじを引いて商品をもらったり、帰りには大したものではありませんがお土産をもらったり…!
この銀行、年金日には来る人に窓口で粗品ですが、色々な品物をプレゼントしてくれます。
その月によって違います、卵1パックだったり小皿だったり、花の鉢植えだったり色々です。
ゼロ金利の時代お客様に、おもてなしやサービスをしなければ地方銀行は大手銀行に呑み込まれます。
会費は5500円で、招待ではありませんが、楽しく遊んできました。
バスに乗って行く途中に「重要文化財の渡辺邸」へよって観光もした。
渡辺邸は米沢街道の宿場における豪商農大庄屋。
中に入ると凄い梁(はり)、どんな大雪にも耐えられます。
柱には漆が塗られてます。
囲炉裏には火が焚かれて、火棚には収穫した吊るし柿が下がっていた。
大門から土間になっていて、主の入り口、使用人の入り口、身分によって段差があり分かれていた。
屋根は今は見られなくなった木羽(こば)ぶきです。
その見本が展示されていた。
その木羽ぶきの屋根です。
土蔵も幾つもあります。
庭師さんが雪囲いをしてますね。
この土蔵は「味噌蔵」です
「金蔵」
「宝蔵」
「米蔵」
「新土蔵」
「新土蔵」は11代当主のお嫁さんの衣装のための蔵です。
この他に裏土蔵があり現在六棟残ってますが、屋敷地図を見ると十二の蔵があった、と記されてます。
次回も「渡辺邸」です。
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